曽我部恵一の嫁は桃子?離婚原因?経歴が意外すぎた!w

 

みなさん、
曽我部恵一という方をご存知ですか?

 

サニーデイ・サービスというバンドを結成し、
現在も活動を続けながら

自身でレコード会社を設立している方でもあります。

 

今回、曽我部恵一さんの
経歴が話題となっているので

情報を集めてみました!

 

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曽我部恵一の経歴は?

 

 

本名
曽我部恵一(そかべ けいいち)

生年月日
1971年8月26日(46歳)

出身
香川県

 

1992年、
立教大学法学部在学中に、サニーデイ・サービスを結成。

1993年、UNDER FLOWER RECORDSからデビュー。
シングルとアルバムを1枚ずつリリースする

そして、大学を中退してしまう。

 

2000年の解散までに7枚のアルバムを出す。

※解散理由は、メンバー内の人間関係が良くなかったからだそうです。

その後、
結婚をする

 

2001年
所属事務所「MUGEN」を立ち上げる。

12月にレディメイドからシングル「ギター」でソロデビューするも、
翌年、ユニバーサルミュージックへ移籍。

2枚のアルバムを発表。

 

 

2003年、
ダブルオー・テレサをバックにライブ活動を開始する。
また、自身のレーベル「STUDIO ROSE」を立ち上げ、インディーズ・リリースというかたちで、
自身が気に入っているミュージシャン、tomohiro with music tape recordersと「RAYMOND TEAM」をリリースする。

 

2004年、
ユニバーサルミュージック契約終了を機に、下北沢に「ROSE RECORDS」発足。

以後の自身のリリースおよび、マネージメントはすべてROSEで行うことになる。

 

2005年、
オータコージと、ダブルオー・テレサから大塚謙一郎と上野智文を迎え、曽我部恵一BANDを結成

 

2008年、
サニーデイ・サービスを再結成し、ライジング・サン・ロックフェスティバルでライブを行った。

 

これらが、
ざっと曽我部恵一さんの経歴だそうです!

ご自身で事務所やレーベルを立ち上げるってすごいですね!

 

どうやら若手育成や作曲活動にも
力を入れていたそうですね!

 

ちなみに、
TOKIO小泉今日子さんにも楽曲を提供していたそうです!

 

 

曽我部恵一の嫁は桃子?

 

曽我部恵一さんで検索をすると、
嫁 桃子 というワードが出てきます。

 

画像や詳細は、
一切公開されていないので、

もしかしたら、別の人物の奥さんかもしれません(笑)

 

実際に、曽我部恵一さんには
3人のお子さんがいて、子育てもしているという情報もありました!

 

曽我部恵一は離婚している?

 

嫁の情報はなかったですが、

曽我部恵一さんに対して、
インタビューでこのような事を言われてました。

子どもを学校に送り出すために、毎朝6時半に起こさなきゃいけないんですけど、
夜、子どもたちをお風呂に入れて、寝かせて、家事をやった後にやっと自分の時間なので、
そこから制作するとすぐ朝になる。

それで、だいたい昼には仕事があるから、
子どもを送り出してからの2、3時間しか寝る間がなくて。だから制作期間中はキツいですね。早死にしそうです(笑)

 

どうやら、
シングルファーザーだという感じがしますね!

子育てに対して、
母親目線でもあるようなので、

離婚をされているかはわからないですが、
父親1つで三人にお子さんを育ててる様子ですね。

 

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最後に

 

曽我部恵一の嫁は桃子?離婚原因?経歴が意外すぎた!w

についての情報はいかがでしたか?

 

意外と、経歴を見ていくと
ご自身がやりたい生き方、音楽を貫いているんだなーという感じがしました。

 

音楽性や、生き方もやはりこだわるからこそ、
インディーズでも活動を続けてるのかなーとも思いますね!

 

サニーデイ・サービスとしても、
現在は活動を続けてますが

ドラムの丸山晴茂さんが、
訃報で一緒にバンドを組めなくなってしまいました。

 

これに対しても、
曽我部恵一さんはコメントしており、

晴茂くんが、亡くなりました。

彼はもう何年も自分の抱えるアルコールの問題を克服しようと戦っていました。
2015年の夏を最後に、いっしょに音は出していませんでしたが、ぼくたちは彼が戻ってくるのを待っていました。

すぐに、ではなくても、生きていればいつかはまた三人で音を出せると信じていたし、そんな最高なことが起こるのが人生だと思っていました。

晴茂くんはぼくの大事な友だちでした。
ドラマーがなかなか決まらずくすぶっていたサニーデイに入ってくれたとき、彼はすでにプロの仕事を経験していて、ぼくたちにとっては音楽的な先輩と言った感じでした。こんなすごい人が叩いてくれる!そこでやっとサニーデイはバンドとしてのスタートが切れたのです。
おまけになかなか東京人とフランクに接せられない地方出身のぼくと田中でしたが、何故か晴茂くんとはすんなり自然と打ち解けることができました。
たぶん三人とも、似たような部分でシャイだったのでしょう。
まるで、ずっと昔から友だちだったような感覚でした。

それから経験したありとあらゆること、素晴らしい時間や景色、サニーデイの音楽、これらすべては更新されることなく永遠のものになってしまいました。

晴茂くんはやさしい人でした。
純粋な人、という言葉は彼にこそ使っていいものだと思います。
なにごとにも臆することなく、心から正直に行動できる人でした。本物のパンクスで、本物のロックンローラーでした。
計算高いタイプのぼくはよく彼に「晴茂くんは天使だから」なんてことを言っていました。そんなとき晴茂くんは決まって不思議そうな顔でぼくを見るのでした。
ぼくは晴茂くんが大好きでした。

サニーデイ・サービスを愛してくれたすべてのみなさん。晴茂くんのビートに身を委ね、彼を応援し、彼の復帰を待ってくれたすべてのみなさんに、感謝いたします。
どうもありがとうございました。

自分がいま音楽をやっているのは、晴茂くんと出会い、彼に力をもらったからです。
ぼくがひとりで作った歌をみんなが聴けるカラフルな音楽にしてくれたのは晴茂くんです。
いつもぼくの家族を心配してくれたこと、あなたのはにかんだような笑顔、あなたの冗談、あなたのやさしさ、ひたむきさ、自由さ。
ありがとう、晴茂くん。
さようなら。

平成30年7月15日
曽我部恵一

 

どれだけ想いがあったのかが、
読んでみて気付けますね。。。

 

それでも、曽我部恵一さんは、
まだまだ活動を続けていくようなので

今後の活動にも期待したいと思います!

 

最後まで、お読みいただきありがとうございます♪



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