マサ斎藤の経歴や死因は?巌流島やバックドロップなどの伝説とは!?

みなさん、
マサ斎藤という方をご存知ですか?

プロレスラーとして活動をされいた
日本や海外でも

かなり人気のレスラーでもあります。

 

今回、
マサ斉藤さんの訃報の情報が流れてきました。

なので、
マサ斉藤さんに関する
経歴や死因などの情報を集めてみました!

 

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マサ斎藤の経歴は?

 

 

リングネーム
マサ斎藤

本名
斎藤昌典(さいとう まさのり)

生年月日
1942年8月7日(75歳)

出身
東京都

身長
180cm

体重
全盛期120kg

 

1963年
明治大学在学時、
レスリング全日本選手権にて、フリースタイル、グレコローマンの両ヘビー級で優勝

1964年
日本代表として東京オリンピックに出場(フリースタイル・ヘビー級、3回戦で敗退)

 

マサ斉藤さんは、
プロレスを始める前は、レスリングをされていて、
そちらでもかなり強い選手とだったようです!

東京オリンピックにも出場ってすごいですね!!!

 

大学卒業後、
1965年4月に日本プロレスに入門
同年6月3日に、高崎山猿吉戦でデビュー

 

翌1966年6月、日本プロレスを離脱し、豊登が興した東京プロレスに参加する
アントニオ猪木、豊登に次ぐ三番手のポジションで戦い、一時は登記上の社長も務める

 

しかし、東京プロレスは翌年あえなく崩壊、
猪木らを除く大半の所属レスラーは国際プロレスに移籍するが、

斎藤は渡米を選択し、フリーランスの一匹狼の道を歩むこととなる

 

 

その後も、アメリカ、日本と様々な地域で
プロレスラー、マサ斎藤という名前を広めていきました!

 

 

アントニオ猪木と巌流島の戦い!?

 

1987年には、なんと

マサ斎藤さんと、アントニオ猪木はシングルマッチで対戦しています。

 

 

 

この試合の経緯は、
プロレス人気を盛り上げる為に、

アントニオ猪木さんが考案したもので、
対戦相手に、マサ斎藤さんが名乗りを上げて実現した試合だそうです!

 

なんと、
この試合スゴイのは、

 

・巌流島で試合を行う

・観客0人

・照明なし

 

 

という、本当に当時の武蔵と小次郎のようなシチュエーション
試合を執り行ったそうです!

 

もちろん、
武蔵のように、アントニオ猪木さんは遅れて登場したそうです(笑)

 

 

そして、
試合も2時間5分14秒という長い戦いを得て、

アントニオ猪木さんが勝利したそうです。

 

この過酷な試合を、
プロレス界の歴史に残る「巌流島の戦い」として、
受け継がれているそうです!

 

 

マサ斎藤のバックドロップとは?

 

マサ斎藤さんの得意技は、
バックドロップでした。

 

バックドロップというのは、
このような技を言います!

バックドロップ動画(6秒)

 

背中から落とすという、
シンプルでも、かなり食らったらやばい、

強力な技ですよね、、、、、

 

 

このバックドロップの中でも、
マサ斎藤さんのバックドロップはかなり強力だったそうです!!!

 

なぜかというと、
どんな巨体な選手でもバックドロップで投げ飛ばしてしまう、
パワーを持っていたからです!!!

 

実際にマサ斎藤さんは、
現役時代は、このような肉体でした(笑)

 

 

やばいぐらい筋肉の塊ですよね(笑)

こんな巨体に投げられたら病院送りですね。。。(笑)

 

 

マサ斎藤の死因は?

 

1992年にプロレスラーとしては、引退したマサ斎藤さん

実は、ざまざまな戦いの影響で

体に支障をきたしている状態だったそうです。。。

 

引退後は、
解説者としても活動してましたが、

発言にもすこし障害が出ていたそうです。。。

 

そして、
2000年にパーキンソン病だとう言うことを公表されました。

 

パーキンソン病とは?

 

パーキンソン病とは、

主に、手足がふるえる(振戦)、動きが遅くなる(無動)、筋肉が硬くなる(固縮)、体のバランスが悪くなる(姿勢反射障害)、といった症状がみられます。

これらによって、顔の表情の乏しさ、小声、小書字、屈曲姿勢、小股・突進歩行など、いわゆるパーキンソン症状といわれる運動症状が生じます。

 

長年の戦いで、
かなり脳へのダメージも大きかったようで、

戦いの後遺症として、
残ってしまってるようでした。

 

 

ずっと闘病生活をされていたそうで、
2013年には、障害者手帳を交付するまでになっていたそうです。

 

2016年に、
1度リングにあがる瞬間があったそうですが、
自力ではリングにあげれない程、

体は弱っていたそうです。

 

闘病中のマサ斎藤さんは、
このように姿だったそうです。

 

 

 

 

そして、
今回、みなさんがご存知のように

2018年7月14日に
訃報が届きました。。。

 

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ネットからの声は?

 

マサ斎藤さんの訃報に、
ネットからは

マサ斎藤さんの突然の訃報、驚きと悲しみで言葉がありません。つい3週間前にNumberで、必死にリハビリする姿を取材させてもらったばかりなのに……。マサさんは生涯最大の敵パーキンソン病を相手に、まさにGo for broke!の精神で18年間闘い抜いてくれたと思います。心よりご冥福をお祈りします。

マサ斎藤さんの訃報を目にしました。 私が海外遠征を終えてからは、解説者としてお世話になりました。 いつも辛口でしたが、山本小鉄さんと同様、愛のある叱咤激励だったと解釈してます。 長年、闘病生活を続けながらリングへ上がろうとする姿に勇気づけられていました。 ご冥福をお祈り致します。

佐々木健介さんの引退パーティーで猪木さんと再会したマサ斎藤さん。猪木さんは後でこの時の事を「抱きついたらあの野郎タックルしてきやがった」って笑ってたけど、マサさん曰く「アントニオ猪木がいきなり頭突きをかましてきたんだよ」って70過ぎても凄い二人だなと思った。御冥福をお祈りします。

巌流島決戦がなければ路上プロレスというアイデアは生まれなかったと思います。謹んでご冥福をお祈りいたします。

今日の『ニッカン』はマサ斎藤の訃報が一面。一時期、この方によってマット界は救われた時期が確実に存在した。クライマックスはもちろん、87年10月4日の巌流島でのA猪木戦。一度だけインタビューさせてもらったこともあった。お疲れ様でした。合掌。

マサ斎藤さん。 その後池尻大橋魚魚屋で何度かご一緒させていただきました。奥さんもキレイで女優さんのようでした。 それから会社が池尻から六本木へ移り魚魚屋にも遠ざかってしまった。 魚魚屋でベイスターズ山下監督、さくらももこさんの父上(本物のひろしさん)ともよく飲んだ。良い時代だった

長年のプロレスファンの声が
やはり多いような印象でした。

日本のプロレスの凄さを、
広めてくれた一人でもあるので、

日本プロレスにとっては、
かなり大事な方を亡くしてしまって残念でもありますね。

最後に

 

世界のマサ斎藤を呼ばれる程でもあるので、
世界でお世話になったプロレスラーも多いようです。

 

 

 

 

世界で有名なプロレスラーといえば、
WWEで活躍する

ハルクホーガン、ブロックレスナーがいます。

知っている方は、
知っているかなり有名なレスラーですね!

 

 

日本のリングにも上がり、
その強さを見せつけた二人でもあります!

 

そんな、二人も日本に来るときは、
お忍びでマサ斎藤さんに会いに行くほど、
かなりお世話になってたそうです。

 

世界で活躍するのも、
マサ斎藤さんのおかげでもあったそうで、
とても感謝され、仲がよかったそうです。

 

 

今回、
とても悲しい訃報でしたが、

プロレス界を引っ張ってくれ、
ここまで作り上げてくれた先駆者として

本当に感謝したいと思います✨

 

心よろご冥福お祈りいたします。



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